やはり難しい

2005年3月15日 日常
この日記を綴っているは、理由がある。1つはタイトルとおり、日々、心に移り行く事をツラツラと書いていくという漠然とした理由。もう1つ。こちらの方が重要だと考えるのだが、毎日書くことによって、自分の文章力の向上にある。実際の所は書く以前より向上したか否かは分からないが、それでも何もしていない時よりマシだと思っている。

業務にて。先週より案件が2つあり、どちらもフロー及び規定(マニュアル)作り。1本は昨日書き上げて明日以降の承認待ち。もう1本は今日、1日かがりでフローを作り規定を文章におこした。関係者には軽くチェックをしてもらい部長に提出。あれやこれやと話ながら自分で書き上げたルールに赤字で訂正を入れていく。内容自体は、さほど難しい案件ではなかったが「規定」という概念が頭にこびりついて、どうやら書き口がかなり固くなってしまったようだ。運用であるから、自分のだけのルールである訳でもなく他の人も当然、自分の作った規定を見て運用する訳であるから、余り固いと運用する人にとっては分かりづらい。かといって、平文で書くと、あらぬ誤解を受けそうだし、ここが規定作りの難しい所だと実感する。

やはり文章を書き、相手に理解してもらうのは難しい。「て」「に」「を」「は」を間違えただけで、全然意味も違ってくるし、単語1つをとっても、色々な解釈があるので、意としない捕らわれ方をされてしまう事もある。また、全然、読んでらえないで、いきなり質問が飛び込んでくるというケースもある。これは問題外と言いたいが、それだけ簡潔に書かれていないという事だったある。どんなに自分で上手く書けたと思っても、相手のあること。かなりいい線まで行く事はあるかと思うが、まったく問題なく運用が進捗するというのは夢のまた夢のような話であろう。
http://www.necoweb.com/neco/html/program/p001835.html

http://www.necoweb.com/neco/html/program/p001836.html

http://www.necoweb.com/neco/html/program/p001837.html

どこのレンタル屋にもなかったのだが、どうやらチャンネルnecoで放映してくれるそうだ。時間的に録画になると思うが、忘れないようにしないと。

プール

2005年3月13日 日常
いつもは毎週日曜日の夕方にプールに行っているのだが、今日はスタジアムでオープン戦があったので昨日、友人と行く事となった。いつものように1キロ泳いで1時間水の中を歩いても、ほとんどといっていいほど疲れを感じない。さすがに半年間、毎週のように泳いでいれば体が慣れてくるといった所か。思えば去年9月にクロールで25mを泳ごうものなら、脚がパンパンに張ってしまっていたのだが、この所はまったくその傾向もない。次回よりもう少し、泳ぐ量を増やすべきなのか。理想をいえば週2回はプールに行きたいのだが、やはり勤めている以上は難しいな。
今週の半ばに駅構内の書店で購入。野口恵子という人の「ら」抜き言葉や「さ」といったことは無論、今日、世間に出回る、気がかりな日本語について書かれた本である。前半読んだだけなのだが、結構、気にすれば気になる言葉というのはあるものだ。まだ前半しか読んでいないので、全体像はつかめないが、やはりというべきか日本語の乱れが著しいのは、若者でその理由としては、仲間内同士だけの会話、バラエティ番組やバイト先でのマニュアル用語に起因すると書かれている。個人的な考えてして、これにインターネットなどでしか使われない用語も加わるのではないか?と思う。現実問題として、近々に発生すると予想できるのが、2ちゃんねるの用語が普通のビジネス文書やメールに書かれるという事。無論、「飲みに行く?」という程度のメールだったら問題ないが、これが客先であったり、上司にも送るという時代も、そう遠くないようように思える(現実にあるかもしれない)こうなると日本語の乱れという次元の話ではなくなってくるな。

話は外れたが、これら乱れた日本語を使う若者は、往々にして敬語を使えないそうだ。本によれば、日本語というのは、言葉自体に「含み」を持たせることが多いため、相手の考えている事や、思っていることを察して話す言語とも書かれている。敬語は、その顕著な例ではないだろうか。敬語を使えないという事は日本の文化から言って「ロクな話し方も出来ない」という事になるという。両手を挙げて賛成という訳でもないが、おおむね、この著者が言っていることは理解できる。やはり初対面で、いきなり話し方がおかしい奴は、疎む傾向にはあると思う。

考えてみれば、日本語というのは難しい。本にも書いてあったが、例えばモノの数え方。ライオンは「頭」、本は「冊」、コーヒーは「杯」とそれぞれ呼び方が違う。マニアックな所では羊羹は「ひと竿、ふた竿」というが、これらはある程度の経験から身につくので、今日び、羊羹を食べたことのない人にとっては、皆目検討もつかないことであろう。結局の所、相手に通じるかどうかというのが前提にあるのは間違いないが、日本語というのは発し方によって、その人の経験や人格まで見切られてしまうという難しいツールではないかと考える。

金八先生

2005年3月11日 日常
またしても見る気がなかったが、見てしまったテレビ番組。金八先生。なんだか中学生がドラッグにはまっているというような話だったが、金八先生のストーリーが殺伐として来たなぁと思う。やっぱり金八先生といえば、

 加藤優(腐ったミカン)が護送車に運ばれて、
 BGMに中島みゆきの「世情」が流れる

というイメージなのだが。これって時代錯誤か?

お茶

2005年3月10日 日常
一昨日は何ともなかったのだが、昨日になって花粉症が大爆発。これに気を使ってくれだCFO秘書の方から甜茶を頂く。今まで甜茶というものは飲んだことがなかったのだが、どうやら花粉症に効果があるとの事で、藁にもすがる思いで飲んでみることにする。味は紅茶に近く甘い。なんで甘いかは知らないが、とても飲み易いお茶である。しかし、これで花粉症の症状が落ち着くかどうかは、まだ分からないが。

3年前に中国に行った行った折、色々なお茶を飲んだが、中でもよく飲んだのがジャスミン茶。日本で飲む、それは「バスクリンみたいな味」というくらいの認識でしかなかったが、中国で飲むと、これが実に美味しい。特に油っこい中華料理の後に飲むジャスミン茶は非常に美味しく感じる。

どちらかというと、お茶よりコーヒーをよく飲む方なのだが、これからは、色々なお茶を飲んでみようかと甜茶を飲みながら思う。

ナイスネイチャ

2005年3月9日 日常
帰宅後、たまたまフジ739をつけた所、時系列はバラバラだが競馬の過去名勝負といった趣旨の番組を放映していた。特に見ようと思った訳ではないが、今から10年くらい前のレースを中心に放映されていたので「懐かしいなぁ」と思いながらみる。丁度10年くらい前というと、ビワハヤヒデ、ナリタブライアン、トウカイテイオーの復活の有馬記念など、それはそれは名馬の名レースばかりだったのだが、やはり一番印象深かったのは

 ナイスネイチャ(父:ナイスダンサー、母:ウワカワミユキ)

だろう。この馬、どんなレースに出ても掲示板(1着〜5着)を外すことは少ないのだが、しかし中々、勝てない。その象徴が

1991年 有馬記念
 1着:ダイユウサク 2着:メジロマックイーン 3着:ナイスネイチャ

1992年 有馬記念
 1着:メジロパーマー 2着:レガシーワールド 3着:ナイスネイチャ

1993年 有馬記念
 1着:トウカイテイオー 2着:ビワハヤヒデ 3着:ナイスネイチャ

という事に他ならない。この後100年以内に、3年連続有馬記念を制覇する馬は出てくるかも知れないが、3年連続3着というのは、まず出ないで前人(馬)未到の大記録を打ち立てたのである。しかも上記の通り、勝った馬、または2着の馬は歴代の名馬ばかり。その中で3年連続3着というのは「凄い」という他ないだろう。ちなみにこのナイスネイチャはあのトウカイテイオーの生涯獲得賞金を凌いでいる。もしナイスネイチャが馬ではなく、人であったら、すごくいい奴だろうな。

花粉症

2005年3月8日 日常
実はアレルギー体質で、母親に言わせると子供の頃はアトピーの症状もあったそうだ。花粉症もまだ世間に「花粉症」などいう言葉が出回る以前より症状が出ており、「何で春先にくしゃみばかりするのだ?」と言われていたくらい。なんでも今年は、劇的にスギ花粉の量が多いとかで。ところが、天邪鬼なのか、今年は言われるほど、症状は現れていない。確かにクシャミは1時間に1度くらい、まとまって出るのだが、目はちっとも痒くはない。スギ花粉の性質なんかも影響するのか?と思う。

それにしても日本人のどれくらいの割合の人が花粉症なのであろうか。社内で『外国人も花粉症はあるのか?』と質問したのだが、スギではないが植物の花粉によるアレルギーは存在するらしい。実際に日本でもスギ以外で症状が現れる人がいるので、当たり前といえば当たり前か。そもそも外国にスギがあるかどうかも謎ではあるが。
 ・ニッポン放送(フジサンケイ) vs ライブドア
 ・堤元会長逮捕
 ・ソニー出井会長辞任

昨今、ニュースと言えば、これ3つの話題ではなかろうか。共通していることは「株式会社」または「株主」というキーワード。そもそも株式会社というのは株主の物。悪い言い方だと、なるべく表面化しないで「なあなあ」で済ましていたのが日本の企業文化だったように思えるが、商法改正の頻度などを垣間見ると、どうやらそんな旧態依然な文化は「過去」へと葬り去られようとしている。まさに企業のあり方の激変期ではなかろうか。

他のブログなどを見ていると、特に堤元会長逮捕のニュースでは、野球ファンの揶揄する発言が多く見受けられるが、実際の所は「何がどう悪いか?」という事を理解していない人が多いと思われる。さりとて、それらを知らないからと言って、どうこう言うつもりではなく、前述の通り、今までは日本の企業文化が「なあなあ」だったのだから、仕方ないのではないと思う。

しかしこれからは、整備が整い、世間の風潮も、時代の流れに沿ってくると、株主が表面に出てきやすい環境が整うと予想される。となると我々サラリーマンも、影響を及ぼす時代がそこまで迫ってきているように感じる。今、起きていることは10年後に「そんなことで何でニュースになっていたのだ?」と言う時代が当たり前になるのではないか?
と言っても、もらった訳でも書いた訳でもない。今日、レンタル屋に行って借りて来たブルーハーツの曲名。ブルーハーツといえば渡辺美里と同時期に、結構聞き込んだバンドで"リンダ・リンダ""TrainTrain"といったメジャーな曲が多いのだが、一番、この曲が好きである。往々して恋愛系の映画だとか歌だとかは余り真剣に聞かないのだが、この曲に限っては、かなり気に入っている。従って自分の中では、ブルーハーツといえばラブレター

ブルーハーツの詩に余り余計な事が書かれていないし、何を言っているか、分かりやすい。もちろん自分の個人的な感想ではあるから、そんなことはないと言われるかも知れないが、自分ではそう思う。それはともかく、このラブレターという曲は、それが一番顕著に表現されている歌ではなかろうか。

決断

2005年3月5日 日常
とある友人のブログを見た所、その友人は仕事を辞めて法科大学に行く事にしたそうだ。その友人とは結構な会社に勤めていたと記憶しており、本人曰、『試しに受けたら合格してしまった』というようなことを言っていた。現在の収入がどれくらいあるか知らないのだが、それら全て捨てるリスキーな選択だったと思う。ブログによれば、進学を決断した理由は

 このままでは、去年の出来事も一昨年の出来事も区別が
 つかなくなるような生活で年だけとってしまう

かなりの衝撃。昨今、常々思っていること。何というか「やられた」とか、そういった時限の話ではなくて、そんな大勝負を打てる能力も自信も度胸もないという事に気がつくし、友人の決断は結果は分からないが頑張ってほしいという以外ない。

時にどうしても決断をしなけばならない事というのはあと思う。しかし、この歳になるまで、自分の人生に重大な影響を及ぼす決断を下したという記憶がない。それなりに今まで飄々と生きているような気がするのだが、それでも何とかなってしまっている証拠なのかなと。これはいい事なのだろうか?悪いことなのだうか?答えは随分先のような気がするが。
気の進まない仕事というのはある。幸か不幸か、どうやら「お鉢」が回ってきたようだ。しかし、サラリーマンである以上は、気の進まないなどという理屈が通る身分ではない。無論、プロフェッショナルイズムとして完遂しなければならないと考える。と本件のような場合は、どうするかという事から考えれば、なるべく自分が自身をもてる「理論武装」するのが一番ではないであろうか。なんとなくこれから、こんな仕事が多くなのではないかと予想する。
http://www.asahi.com/national/update/0303/TKY200503030135.html

ついにというか、即決だったというか。容疑は証券取引法違反。しかし、有価証券虚偽報告とインサイダー取引をきちんと説明できる人がどれだけいるかというのも疑問ではある。それはともかくとしても、なんだかスケールの大きい話。40年にも渡り虚偽報告をし、インサイダー取引までやって、堤氏が自ら記者会見を開き、結末はトップである自分が拘置される。「振り込め詐欺」なんてやってやる奴なんて屁みたいなものだな。

ニュースや週刊誌に出てくる報道だと「西武王国」と銘打ち、やれ、独裁者だとか時代錯誤であったと堤氏とやかく書きたてているが、自分の会社でillegalでない以上は、何をしようと株主の勝手であろうから、メディアの報道姿勢も違うのではないか?と思う。

ちなみに、この話はライブドア対ニッポン放送(サンケイグループ)の話と「ある意味」では表裏一体。登場人物が堤氏か堀江氏であるかの違いだけであって、両者の行き着くところは同じだと思う。結局は、その人が好きか嫌いかによって、印象が随分と変わるものだと感じる。
http://www.daily.co.jp/newsflash/2005/03/02/163415.shtml

世の中には色々な法律があるものだ。以前、金八先生(多分)で、決闘シーンがあったけど、illegalという事だったんだな。それはともかく罪は罪として、学校内の対立関係をタイマンで決着させようという心意気は中々よいのではなかろうか?記事によれば、素手でギブアップしたら終了というルールも決まっていたようだし、そんなに言うほど悪いようには思えないが。

弥生

2005年3月1日 日常
1年なんて早いもの。ついこの前、正月だと思っていたが、あれよあれよという間に3月突入。考えてみれば1月なんて初旬は3日は休みだし、2月は元々、日数が短いのだから、他の月に比べては早いのは当たり前か。周りに学生がいないせいもあるのだが、3月となってもルーチンワークをこなしているだけなので、あまり季節感がない。あるのは競馬の弥生賞と野球のオープン戦で春を知ることくらいか。しかし3月に入ったといっても、まだまだ寒い。今日もウォーキングをして帰って来たのだが、途中で雪が降ってきた。本当に春なんて来るのだろうかと思う。

そういえば、女性の名前で「弥生」「さつき」という人はいるが、さすがに「神無月」という人はいないな。当たり前か。
同僚が退職することとなった。理由ははっきり聞いていないが家族の事らしい。この同僚は採用地が大阪だったのだが、会社都合で2年半前に東京に出てきた。しかし、奥さんが不慣れな土地で、色々と苦労があったらしく、この春、神戸に帰ることになった。当社は大阪にも拠点があるし、異動を勧めたのだが「異動してまで、残る気はない」とのことで退職に至ったらしい。そして、同僚は、先週、神戸の住居を決めてきたとのこと。家賃は月11万円。この同僚は自分と同年次で同じタイトルであるから、給与もほぼ同じ。それを考えると、奥さんと子供の3人で11万円の家賃負担は、相当重いと思われる。それはさぞかし、いい就職先が決まったのかと思いきや、全然決まっていないらしい。

昼休み、その件で、他の同僚を交えて色々と話す。「早く、就職先を決めた方がいい」とか「本当に大丈夫か?」とお決まりの会話が進む。しかし、その一方でとある事に気が付く。我々はあくまで「外野」でとやかく言ったとしても最後は本人が決断すること。色々と、その同僚に言って(アドバイスして)無駄という事ははないが、所詮、外野であることには代わりないという事に気がつく。

昔、とある友達が「自分に決定権のないことは気にしない」と言っていたが、まさしくそれ。ごちゃごちゃ言った所で、いわば自分には関係ないことで、最低限「辞めてもがんばれよ」くらい言えればいいようにも思えてきた。こんな書き方をしていると、非情のようにも思えるが、外野からしてみれば、当人達の事情を全て知っている訳ではなく、多くが傍観者な訳で「ここしろ、ああしろ」というのはお節介だと思う。

ものごとをシンプルに考え出すと、実はこのような結論に達するのではないかと最近思う。でも何も言わない事こそ、その人の為である場合もあると最近、実感する。むしろ「色々とアドバイスしてくれ、それで考えるから」と言われる方が、余計な責任感を背負わされるようで、勘弁願いたい。

大坂夏の陣

2005年2月27日 日常
時代劇専門チャンネルの真田太平記が佳境である。早いもので今日の放送で幸村は、家康本陣を切り崩すも、最期は安居神社で自刎する。誰に聞いただが、読んだかは忘れたが、徳川家康という武将は恐ろしく勝率が高かったらしく、本陣を切り崩されたのは、生涯で2〜3回しかなかったという。

「判官びいき」という言葉があるが、これは義経のこと。この幸村も何の利もない大坂方に付き、ただ徳川家康の首を取るだけために戦った武将であったという。しかし結果は戦う前から大勢は決していた訳で、それでも後世に語り草にされるという事は、やはり義経にしろ幸村にしろ日本人の気質にあった人物であったのではなかろうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050226-00000005-yom-soci

昨日、たまたまIT部門の人と迷惑メールについて話す機会があった。とにかく、毎日、その方も、自分と同じく馬鹿みたいにスパムメールが来るという。迷惑メールに設定していても結局は、新たなスパムメールが到着するので、意味を成さない。一時期、

 ユビキタス(どこからでもコンピューター)

という言葉が出回ったが、これでは「どこからでも迷惑」という時代になったという笑い話で終わった。

それにしても、試験内容を掲示板に書くというのは、威力業務妨害だろう。2ちゃんねるは見ないし、興味もないのだが、このように使うといのは、いかがなものであろう。明らかにWebの使い方として間違っているとしかいいようがない。その昔、インターネットを始めた当時、まだnifty文化の色が濃く、それなりのルールやマナーがありWeb上での口論などは、誰か仲裁役がいたり、また当人同士も一定時期に冷静になって、それはそれで「ある程度」おさまっていた。しかし、こんなことが日常的に行われているとなったということは、使う側のモラルが下がったとしか言いようがない。

モラルの低下とは何かと考える。「いいか悪いか」というのは、当然、当人の判断基準に委ねられることであるのだが「誰かに迷惑をかける」とか「道義的」と言ったことは度外視され、絶対的な利己主義的のみが判断基準になっているのではなかろうか。

リスクは財産

2005年2月25日 日常
Internetのおかげで、老若男女の知合いが数多く増えた。実に喜ばしいことであり、ひの人達とWeb上や実際に会って話したりするという事はとても楽しいことである。ただ、ここ最近、余りに歳が離れた若者と話したりすると、かなりのギャップを感じることがある。流行している事は元々、興味がないのだが、それ以外の「物事の考え方」と言えばいいのだろうか。

歳を取ると保守的になると言うが、まさしくその分岐点に差し掛かってきているように最近思える。具体的に「何が?」と言われると、上手くいえないが、何事をやるに際しても、それ物事自体のリスクを一番最初に考えてしまうと言った方が一番、それと感じることではなかろうか。

リスクを考えるという事は、それだけ数多の失敗を重ねて来た結果であり、ある意味では自分の「財産」だと考えてもよいと思う。しかし、それらが自縛となり何か新しいことに対して、億劫になり「面倒だからいいや」と思ってしまいがち。突き詰めると「安定」を求めているのだろうと感じる。

そういった意味では、若者達は余りリスクを考えず、成功したり成就することだけを念頭に置いていると思う。自分も彼等くらいの年齢の時は、そうだったのかもしれないが、ちょっとうらやましかったりもする。まぁ、順番だから仕方ないか。
(アサヒ・コム)

http://www.asahi.com/job/special/TKY200412070204.html

http://www.asahi.com/business/update/0224/056.html

人間が人間を評価するという事は大変難しいことであると思う。テレビで見たのだが、とある上司が

 「今夜、部内で飲み会を開催するので参加せよ」

との提言に、とある社員が「行けません」と断った所「協調性がない」との評価を受けたとか。明らかに間違った評価だが、普通の人間の評価なんてこんなものかも知れないと感じる。

そもそも成果主義というは実は、非常に難しい評価方法であると思う。プロ野球選手の年俸交渉を見てもそうであるように、チームが最下位で、どんなによい成績であったとしても、あまり意味を成さないのではないだろうか。つまり目標をいくつか掲げて、それを達成したからと言っても社の業績に直接、貢献するかどうかというのは「?」のケースが多い。また記事のように目標のため、あらゆる手段を講じてそれを達成したとした場合、逆に弊害の方が多いと思われ、むしろ会社の「質」を落とすのではなかろうか?

ちなみに当社でも年度前に、一応、目標を掲げることになっているが、1年経ってみると、全然仕事をやっていたりという事がよくあり、まったくと言っていいほど、意味がない。なんとなく雲の上の人達のパフォーマンスのような気がしてならないのだが。

< 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索