ある程度、朝、会社に行く前には「今日はどんな段取りで仕事をしようか」と考えて出社するのだが、この日に限って、段取り通り進まず、イレギュラーな仕事に追われる。当然、やろうと思っていた仕事はどんどんと後おくりになるのだが、なんとか定時には全ての帳尻を合わせて終わらすことに成功。

以前、ライターの友達に「書けなくなったらどうするの?」と聞いた所「書かない」と実に男らしい返事が帰ってきた。しかし「締切前には不思議と書けるようになる」とも言っていた。やはりどんな商売でも締切に縛られるのはつらいが、逆に締切がない仕事の方がもっとつらいかも知れないな。

欲のない話

2004年11月14日 日常
マスターズリーグを観戦しに友人らと静岡県・草薙まで車で向かう。観戦後、車中にて話の流れから知人に

「(かれいおうは)欲がないみたいだね」

と言われる。自覚している事だが、他人に言われると尚更、そうだろうなと思ってしまう。物欲にかられる事もほとんどない。歳のせいというより昔からその傾向が強い。欲がないというのはなんとなく美徳のような気もするが、現代社会においては、競争を好まないという「弱い一面」だと自分では認識している。

他の人から見れば結構、損をしているとも思う。ただ、その「損」を投資と考えればと、そのときはいつも思う。でも、そのうちそんな事すら忘れてしまい、同じ事を繰り返す。従って絶対に回収は出来ないという事かな。

携帯電話ありき

2004年11月13日 日常
昼頃起床。とりたてて何もすることはない。夕方プールにでも行こうかと思ったが
いつも行く引地台プールが設備点検のため休業。市内のプールでもよいのだが、何と
なく気が進まない。友達と他愛もないメールのやりとりをしてうちに麻雀でもやるか
という話になる。早速、残り2人を人選しメールを配信。すぐさまOKの返事。
各自の時間を調整して時間を決めて、再び配信。ところが、1名から返事がない。
ひとまず現地へ向かうことにする。返事の来ない友人にちゃんとメールが届いているか
心配になりメールではなくて電話をするとつながらない。先ほど運転中のような事を
言っていたので、電源を落としているのだろうと思っていたが、何度やってもつながらず
現地で無事に会え、麻雀が開催できるのか不安になる。現地につく、先についていた友人と状況を説明していると、連絡がつかなかった友人がやってきた。連絡がつかなかったのは、PHSの電池が切れていたそうだ。

麻雀をやりながら、いろいろと話すが、どうも現代人は「携帯電話を持っている」というのが前提になっているからだという話になる。そんな話をしていて昔、携帯電話がなかった頃というのは、どうしていたのだろうか?と考える。もっときちんと段取りをしていたように思える。どうも携帯電話に依存しすぎだな。

健康診断結果到来

2004年11月12日 日常
先日受けた健康診断の結果が到来。毎年「再検査」の招待状をもらうのだが、今年は招待状は添付されず。結果を見ると、各数値とも去年より正常値になっている。9月からのウォーキングとプールの結果だろうか。

ちなみに、去年の記録を見ると「肝機能障害」の疑いがあったそうだ。去年の今頃といえば、かなり色々とあったからなぁ。

印紙税の危機

2004年11月11日 日常
印紙(税)というのは、買い物をして領収書に貼ってもらうという事はあっても、個人が買って貼るという事はほとんどない。つまり所得税や消費税に比べると結構、マニアックな租税で、法人税のスペシャリストとか所得税のスペシャリストがいても、印紙税のスペシャリストというのは、余り聞いた事がない。さらにはこの印紙税という税法を採用している国も少なく、日本の場合も、そもそも戦費獲得のための税金だったと聞いたことがある。
この印紙税というのは、領収書であったり契約書に付する税金で契約の金額や領収書の金額によって金額が変わってくる。従って法人同士の商品売買や金銭貸借といったものには契約書の端の方に申し訳なさそうに添付されている。しかし、領収書・契約書の種類によって20余りの「○号文書」として取扱規定があり、これの判別が実に厄介。この契約書は一体「何号文書」に該当するのか?という事で頭を悩ませることも少なくない。

ところが、昨今、印紙税の危機がやって来ようとしている。印紙税法では

---印紙税の手引きより---

 証明される目的で作成されたもののうち、次に説明する「非課税文書」に文 書該当しないもの・・・・・

---ここまで---

と謳っている。証明される目的で作成されるものとは契約書や領収書ととらえて差し支えないと思う。問題なのは「作成」という単語。普通「作成」というと、物理的に契約書に「甲は乙に・・・」と契約内容を書いて、両者の捺印をしてという具合な事を言う。ところが、昨今のようにWeb上でのショッピングやオークションで契約が成立した場合、印紙を貼りたくても貼りようがないというの現実。これについては現在の所、野放図状態というのが現状。これについつ、税務大学のとある教授(?)が私見ながら「作成」の解釈を変えようというレポートを目にした。そもそもの「作成」を物理的に契約書を作成するのではなく「契約の作成」において印紙税を課税ようと言う。しかしこれは無理がなかろうか?メールやWeb画面に印紙を貼る訳にもいかないだろうし、実際に「契約の作成」というのはどの時点のことをいい、解釈上も運用上も、この上ない無理な話ではなかろう。だいたい「作成」と聞いて「物理的に作成」する事以外に思いつくという人は、いないと思われる。こんな話が出て来る事自体、法の整備がされておらず、ホコリがかぶった税法を証明しているようなものだ。

今後も電子取引は飛躍的に増加するであろう。そうなった場合、確実に印紙税は納税額というのは減少していく事は明らかである。ただ、南野法務大臣を見ていると、大した話ではないように思えてくるのは何故であろうか?
帰宅後、別の事業部と支店で働く同僚から、それぞれ退職するとのメールが届く。それまで何の予兆もなかったため、かなり驚いてしまう。よく考えてみれば、去年の今頃も同じように同僚が退職していたった。皆、一緒に苦労した仲間達が、気軽に会うことが出来ないとなると、やはり寂しい。

どうも、この11月という月は相性が悪いというか、公私とも自分の周りから人が去っていく人が多い気がしてならない。何かのめぐり合わせだろうか。
新潟中越地震のボランティアが、全国から2万人余りも集まったと聞く。日本人の多くが同じ事を考えているであろう。阪神大震災の時はどうであったか詳しく覚えていないが、この階のニュースを聞き「日本もまだまだ捨てたものではないな」と思う。

自分のできる範囲で、困っている人や救いを求めている人に何かしてあげたいと最近、強く思う。藤沢市のボランティアに登録したものの、今の所、まで市からの依頼はない(もともと行政の運用にも問題があると思うが)これも今年の事。これらは善意とかそういった話ではなくて、おそらく人間としてこの世に生を受けたものは、全からず存在し、笑ったり、泣いたり、慈しんだりする感情に近いものではないだろうかと思う。それが歳をとると少しずつ大きくなるもので、今、真意に人から「ありがとう」と言われると、10代や20代の時に比べたそれより重く感じる。お坊さんの説法みたいな話ではあるが、最近、よく痛感する。自分の事で手一杯という人もいるが、実はその自分の事で手一杯な事象も、人の為の「何か」であって、意外と気づいていないのではなかろうか。
またしても寝られない。友人の引越しを軽く手伝って帰宅し、ちょっと横にはなったけど、それでも1時間程度。23時にビデオを返しに行き、23時30分くらいには帰宅。いつものようにチャットをやって、さあ寝るかと思ったのが1時30分すぎ。全然寝付けない。ばっちり目が冴える。いたたまれなくなり、布団から飛び起き、電気をつけパソコンに火を入れる。
時計を見ると、3時前。もう寝るのは諦めよう。仕方なく日記を書いたり、ネットサーフィンをして時間を潰す。それでも全然、眠気は襲ってこないで、5時20分の時計を確認。もちろん今日は仕事である。30分でも寝ていれば、仕事中、眠くならないであろうと思い、テレビも電気もつけたまま、少し横になる。6時起床。40分ほどの睡眠時間。適当に着替え、そのまま出社。とりたてて業務中も眠くはならず、帰りはいつも通り5キロのウォーキングで平常通り。

 眠らなくても平気な体になってしまったのであろうか?

もちろん、そんなことがあるはずはない。1月、2月にも同じような事がおきた。やはり年に何度かやって来るものであろうか。それにしても眠れないというのはツライ。眠ろうとすればするほど眠れなくなる。これが睡眠障害というものか?それにしても今年は回数が多く、ほとんどが日曜日から月曜日にかけて。
うちから徒歩20分の所に、友人がマンションを買い今日、引越してきた。スタジアムの帰りも一緒に帰れるし、何かあればすぐ行けるだろうし非常に都合がよい。なんといっても徒歩圏内というのが実にうれしい話である。

最近、この友人に限らずマンションを買ったり戸建を購入する友人・知人・同僚が多い。考えてみれば2〜3年前、同じ世代の結婚式のラッシュでその人達が購入しているケースが多いようにも思える。と考えると、彼等の多くは結婚、出産、マイホーム購入と着実に人生においてのステップアップを図っている訳で、さて、自分は?と考えると、まったく何もなく所謂パラサイトになっており実に情けないと思ったりする。去年くらいまでは、それなりのグランドデザインもあったのだが、色々と事情があって、全てご破算になってしまった。それからは、どうも1人で色々と考える事の方が多く、どこかに忘れてきてしまった感がある。今日、友人と奥さんと子供と新築のマンションを見ていると、「忘れてしまった何か」というは非常に重いものではないか?思ったりする。
http://www.asahi.com/national/update/1106/011.html

この前も皇室系の記事を書いたが、決して右よりな思想ではなく、単にニュースが、かぶっただけ。それはともかく、テレビでこのニュースを見たのだが、両陛下は、被災された方々にしゃがまれて色々と話されているようだ。ところが、国会議員各位が同じく被災された方々のお見舞いにあたると、立ったまま話されるとの事。これは相当の違いがあるのではなかろうか?ここで『天皇制』という事を論ずるつもりはないが、少なからず、見舞いに行くにあたり、上から見下ろすという国会議員の先生方はいかがなものであろうか?と考える。

風邪

2004年11月5日 日常
水曜日くらいからだと思うが、のどが痛い。どうやら風邪をひいたようだ。それでも水曜日は家にじっとしているのが嫌だったので、無理矢理プールに行ってしまい、どうもそれが悪かったらしく昨日、今日とさらに悪化。体が重く関節が痛い。めずらしく去年は風邪などひかなかったのため、余計にこたえる。というより年々、回復力が落ちているような気もする。
とある歌の一節。昔からとっても気にいっているフレーズ。

往々にして、誰にでもグレーな部分や黒の部分、白の部分があるはず。さて、自分はどうかと考えて見ると、グレーにしたままの方が多いかなと最近感じる。これが黒だったら、十分に反省し二度と同じ事をしないようにすればいいし、白であれば、何に恥じる事などないと思う。でもグレーというのは一番、タチが悪い。結局の所、自分の部屋みたいに問題が散乱していて、片付いていない事が多く、そのまま歳をとっていってるようなものだ。しかしグレーはいつまでたってもグレーだし、なんとかしなければと思うことがある。今日、ひとつのグレーを黒した。でも、経験で言えば、また次のグレーが来てしまう。これって性分なんだろうな。

丁度「本当と嘘のストライプ」遠くから見ている感じが最近する。

悪徳金融だ?

2004年11月3日 日常
消費者金融に勤務してそろそろ丸9年。早いのか遅いのかはよく分からないが、このご時世でよくここまで、来れたものだと思う。9年間で、仕事はともかく、この業界はいかに世間から煙たがられているかが身にしみて分かったという事であろうか。本気かどうか知らないが知人からよく、

 悪徳金融〜

とからかわれる事がある。9年を飯を食っている商売で、冗談とは、このような事を言われるのは、もの凄く腹がたつ。そもそも、昨今の消費者金融業界というのは、貸倒の増加や出資法と利息制限法というダブルスタンダードの中を右往左往しながら生きがられていて、昨今では業法なども厳しく、回収業務等は困難を極める。しかし、その事実というのは業界の人間しか知られていないという事が第一にある。

また、消費者金融業界というのは世間的にどうして、煙たがられるのか?という事を考えてみる。まずは金利。そもそも論を言えば、人に金を貸して利息を取るというのは資本主義社会では当たり前の事である。簡単に言えば金が金を生む事は資本主義社会の必然ともいえる。例えば人に金を貸した場合民法であれば年利にして5%、商法によれば6%の金利を取ることが出来る。また消費者金融業界では年利29.2%の上限金利が設定されていて、それを上回っての貸付はできない。すでに法令上にたって貸付をしている訳であるから、これにおいて「悪徳」といわれる筋合いはない。仮に29.2%の金利が高いというのであれば借りなければいいだけの話だし、借りて金利が高いというのは子供のケンカだと思う。どうしても金利を下げたければ、自力で返済するか、南野法務大臣にでも嘆願すればいい。

そもそも、日本において借金というのは、表に出せるような話ではない。それに一昔前のようなドラマで暴力団が暴れまわって借金を取り立てる事などありえない。あったとしても、それらは業法無視の闇金であり、我々とは別の商売である。つまり、これら日本人が普通のイメージとして捕らえられている消費者金融というのは明らかに間違ったイメージである。これら事情を知らないと思われる人達が、我々に対して「悪徳金融」というのは憤りを感じる。決して違法ではない商売をこのように言われるのは心外である。職業に貴賎はないはず。

 借りた物は返す
 契約した事は守る。いやなら契約しない

ここから話をはじめるべきではなかろうか?

若い人達

2004年11月2日 日常
「若い人達」と書いている時点で、既に年寄り状態なのだが、今日は節にそれを感じる。友人の誘いもあって業務終了後に、飲みに行く。飲みに行くと言っても自分は飲めないので表現としては適切ではないが、酒の席に行くといういうべきか。それはともかく、参加者は5人で19時くらいから23時まで4時間くらい神田の鳥料理屋で執り行われた。で、友人というのは小学校の時からの友人なので同じ年。あとの3人は20代。結局最初の2時間くらいはいいのだが、その後は、どうやら20代諸君の騒ぐスピードについていけず、残り2時間は惰性に近いものがあった。さらに東京から東海道線で帰る折には、疲労感に襲われ迷わずグリーン車で帰宅。久しくなかったことだ。

残念ながら人間は誰でも年を取るもので、体力的な疲労というのは、最近、水泳やらウォーキングをしているおかげで、以前よりあると思うが、精神的な疲労というのは中々、鍛えることができない。(今回の飲み会が苦痛であったという訳ではなく楽しい時間を継続する事が出来ないという事)そう考えると若い人達はうらやましく感じたりもする。とはいってもこれは順番であるから、仕方ないのだよな。
映画の日という事で、業務終了後、笑の大学を見に行く。ストーリーは戦時中の喜劇作家と検閲官のやりとりをひたすら繰り返すといったもの。後で知ったのだが、もともと舞台物を映画化したので、大きなセットもなければ特撮やCGもない。机1つで喜劇作家と検閲官が淡々と会話が繰り広げらけれる。
検閲官は、喜劇の上演許可を出さないように難癖をつけ、逆に作家はそれらを1つずつクリアして何とか上演許可をもらおうとする。そして2人は、お互いの領分を越え次第に分かり合える寸前の所までいくことになる。とざっと、こんな感じの映画である。

この映画を見て思うこと。結末としては、検閲官と作家が、分かり合え合える寸前の所まで行く。(寸前というのも微妙な表現ではあるが・・・)当初は検閲官は「つぶしてやろう」という気でかかっているはずなのに、こういった事象になるというのは、相手(作家)の言い分に耳を貸し、少しずつではあるが、相手を理解しようという事に他ならない。これにスコープを当てて考えた場合、最近、自分の周りでは、ディスカッションによる問題の解決というのが、余りにも少ないと感じる。というより、ディスカッションに前に一方的に先方から話を切られてしまい、音信不通となるケース。で、これの結論としては、先方が「言いたくない」とか「分かってもらえない」みたいなこちらにしてみれば極めてアヤフヤな返事しかかえってこない。これでいいのだろうか?議論つくして、決裂となるのであれば仕方ないが、それすらならずに話を打ち切るというのは身勝手もいい所だ。

そもそも日本人はディスカッションが得意ではないと思われる。昔は自分も前述のように思っていたが、最近では、とことこ議論尽くしてこたえを出すべしだと考える。この考え自体が古いのか?
5年前から自前のHPでボチボチと書いている「かれいな観戦日記」。実に5年目にして初めて観戦した62試合を全て書き上げる。例年は9月くらいで力尽きて酷い年だと4試合で終わった年もあった。年によって事情も多少違うのだが、そういった意味では、今年は余裕があったか、あるいは時間の使い方がうまくなったという事であろうか。

HPを開設して6年半。なんだかんだでよく続いていると思う。この日記も含めれば、今年の更新回数は開設以来、一番多い。こと観戦日記に関しては、書き手が思っている以上に読んでいる人が多く、実際に人に会うたびに「読んでいる」とか「楽しみにしている」といわれると、創作意欲もわいてくるというものだ。

さて、来年はどうなるか。
昨夜といっても正確にいえば、今日の未明まで友人とヤフーメッセンジャーで政治の話から野球の話まで雑多な話をして寝たのが、4時くらい。で、目が覚めたら既に17時。明らかに寝ただけの1日。起きて、さて、何をしようかと考えるも、取り立ててすることも思いつかず、借りてあったビデオを見て終わり。無駄に1日を過ごしたのであろうか?それとも完全休養日として認識するべきなのであろうか?
http://www.asahi.com/politics/update/1029/006.html

http://www.asahi.com/politics/update/1028/003.html

いろいろな考えがあり、明らかに逸脱していなければ、尊重するべきだと思う。本件は宮内庁のコメントが一番正しいと思う。邪推すればするほど、余計な問題が出てくると思うが。
とある外資系の銀行サイトで「(当行を)装って送られる偽の電子メールが増えております」という注意喚起のサイトがある。さぞかし銀行も迷惑だろう。だいたいの対応は書いてあったのだが、最後のくだりを見て唖然

『さらに詳しい情報は○○○をご参照ください。
 但し、当サイトは英語となりますのでご了承ください』

まぁ、こんな事書いているようだから業務停止命令受けるのだろうな。
先週の土曜日から、JR改正があった。昨今のダイヤ改正は、首都圏の交通網が過密すぎて、ラッシュ時に大幅な増発というはなく、23時代に1本電車が増えるとか、比較的地味な改正が多い。ところが今回のそれは、東海道線・横須賀線内・国府津・平塚あたりから、渋谷・新宿を抜けて高崎線・宇都宮線へ抜ける湘南新宿ラインの大増発という、かなり大掛かりのダイヤ改正。画期的といえば画期的なのだが、東海道線の利用者には大変不評である。なぜならば国府津・平塚あたりから出発しているで、以前に比べ東海道線の本数が減るという事に他ならない。また以前は、ラッシュ時であっても「他の電車に比べて」空いている電車というのがあったのだが、それもなくなった。何より東海道線・横須賀線・湘南新宿ラインと路線構造が複雑になっているので、ちょっとした事、自分が乗る路線とは関係ない所でアクシデントが起きても遅延になる。一言で言えば

 前のダイヤの方がよかった・・・

ちなみに湘南新宿ラインにのって何度か出社した事があるが、横浜より先は目算で100%以下の乗車率だと思われる。と考えると過去、こんなことを思ったダイヤ改正というのは他になかったかも。

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